『土佐日記』、『Sobrevolar a Salamanca』

 紀貫之による仮名文学935年頃の作品、土佐日記を読み始めた。これからは、自らの原点に戻る意味でも日本の古典文学に少しずつ目を向けて行きたい。
 読み進めつつ、あることに気がつく。いくつかの表現が琉球語とよく似ていたり、あるいはまったく々であったりする。
 たとえば「願」と書いて「ぐわん」と読む。現在の日本語は「がん」であり、「ぐわ」という構造の二重母音は韻素としては使われなくなったが、琉球語ではこの二重母音構造が韻素として残っている。
 
 日記と同時進行で、あるヴェネズエラ詩人の最新作『Sobrevolar a Salamanca (サラマンカ空中遊泳、とでも訳そうか。)』も読み始めた。メタファーが多く、理解に苦しむ部分も多々ありつつ、言葉の織り成す世界の無限さに改めて感動する。

 
 今日はこれからまた屋台を飲み歩き。先週末から毎晩たてつづけにかわるがわるの友達と街に繰り出す。二週間後の大学始業まで、思いっきり羽を伸ばそー!って伸ばしすぎ!? たまにはいいよね。