日記のつもりがこんなことに・・・ 暇な人だけご覧あれ。

毎日試験勉強で閉じこもり状態だけど、これがちゃんと実になって修業できるなら喜んで閉じこもりましょう!なんていいつつ、窓の外は紺碧の空、飛び交うつばめたちの鳴き声、お外に出たくなっちゃうわ。

ここんところ日記をおあずけしていたので、ざっと一週間の出来事をめもっちゃいます。巻き戻し、開始!

先ほど夫(オトちゃん)と一緒にランチを済ませました。オトちゃんママが持ってきてくれた手作りのミートソースを使ったスパゲティー細麺のお料理、副菜に豚ロース一人2切れ。これまた別荘の畑でとれたレタスのサラダ(味付けはお醤油、サラダ油、リンゴ酢)。オトちゃんは職場で必要な機械の代金支払いついでにたまっていたゴミを出してくれた。

(以下丁寧語やめ〜。)

午前中、息抜きがてらに少しだけCocco出演のKOTOKOという映画のトレイラーをみた。Cocco、今どんな活動してるんだろうとか、彼女は彼女らしく自然体で生きることができて羨ましいなと思ったりもした。

そのあと、検索結果リストに出ていたデイリーモーション動画(見なきゃいいのにクリックしちゃう自分のバカ〜)で『僕らの音楽』というTV番組にCocco香取慎吾が出演、短い対談をしていて、不思議な感じだった。というのも、Coccoはゲストで、ゲストの会いたい芸能人として慎吾ちゃんが出演、という設定なんだけど、慎吾ちゃん、何を話していいのか、Coccoの発言に対してどう応対していいのか分からず少し困ったように見えた。

Coccoって、話し方はとてもたどたどしくて、見ててはらはらすること間違いなしなんだけど、時折、というか大体の場合において、誰かの質問に対してその質問をちゃんと吟味して、まともなことをわかりやすい言葉でストレートに話すところがすごいなって思う。話し方、どうしても違和感があるけど、それはCoccoが誰とでもどんな状況でも同じように話すからで、例えば沖縄の海で沖縄を見つめながら語りかけるCoccoと、東京の全国放送TVで不特定多数の視聴者に向かって語るCoccoは(緊張度とかは別にして、話し方としては)全く同じ。場所や人に合わせてマスクを使い分けることが礼儀マナーの常識とされているこの社会ではどうしても浮いた存在になるのは仕方のないことなんだけど、それは必ずしも「いけない」ことではなく、アーティストと呼ばれる人たちは表現する人として逆にこういう個性を全面に出すからこその存在なんだよなきっと。普段私達が理性で感情表現を抑えようとする毎日の中で、こういうアーティストの人々に自分の内面、心の奥底に押し込めた欲求や感情を見出す、そこに芸術や表現者の価値が見出されるんだと思う。・・・説明くどいか(笑)。

ん?

ってことは、やっぱりアイドルとか好きな芸能人とかって、自分がこうありたいと思う人生のたくさんの過去の選択肢の一つ、なのかな。ってまたややこしいこと言っちゃって。

20世紀初期スペインの哲学者であり文学者のウナムーノさんの言ってたところのYo-Ex-Futuro(英語ならアイ=エックス=ヒューチャー、和訳なら私・元・未来)ってまさにそういうことだよね。一つ一つの選択肢の中から選び取ってきたものが今の自分の姿で、自分の人生を構成している。その一方で選択しなかったけれども、選択肢としてそこにあった無限の可能性をもし選びとったと仮定した場合の時系列の延長線上にあるのが私の元未来。考え自体はとてもシンプルで普遍的なんだけど、この昔あり得た可能性に的をついた名前をつけたところがやっぱすごいよね。(←説明になってる?)

でももっとすごいのは、名前をつけることによって、それらの可能性の存在に私たちの意識という照明ライトが当てられるところにあるのかな。昔あった可能性を自覚することで、今を肯定できるというか。「本当はああなりたかった・・・」っていう後悔じゃなくて、「こういう選択肢もあったなかから、私はこの道を選んで歩いてきた」みたいな自信につながる。(←自己啓発モドキモード、うわぁ。)

要は、Coccoにどこか憧れる気持ちがあるのは、私にとって自然体の自分をありのままに出すことの恐れを見事に拭い去るだけの情熱がある人として尊敬するからなんだろうな。

ただ、だからといってCoccoのようになりたいというのではなく、過去の可能性として、こういう生き方もあるね、って納得できるということなので、実際には憧れると言うよりも、対等の人間同士として自分とは違う誰かの生き方を尊重する、ということなのかな。

何を偉そうなこといってんだかね(笑)。話どんどんそれちゃって収拾つかないし。えらいこった!

でも、根底のところはやっぱそうだよな・・・。・・・本当にそうか?

本当に、人間って対等なんだろうか。どっかの国の王様と、私のようにまだ社会に貢献するどころか周りからお世話になっているばかりの人間と、どこかの国の死刑台に立つ凶悪犯は、対等なんだろうか・・・。

日記書きながら、どうしてこんな瞑想に走ってしまうのだ〜。ただこの一週間の出来事を書こうとしただけなのに・・・。ああもう時間ないのでおしまい。

一週間の巻き戻しどころか、スローモーションで映像飛んじまった古いビデオみたいな記事になってしまった。

もう、これだからブログ書けないのよね。

さっさと勉強シローーーー!!ってオトの様のお怒りが聞こえてきそうなので、今日はこれでおしまいじゃ!!!