MAO二日目

本日の科目
東洋社会の変化 Cambio Social Asia Oriental



考えたこと
・大切なのは記憶よりも、多角的な視点を知り、自分なりに考察すること。
・逐語訳より意訳。話者の意図を的確に理解した上で、聞き手にとって分かりやすい訳にする。そのためには多少文章構造をかえたり、予備知識を基に情報を補充したり、臨機応変に対応する。「分かりやすさ」とは具体的に、リズムの良さ、訳文の的確な長さ、構文の多様性、などの要素がある。
・通訳の予備知識を蓄えるには、ソース言語(発話者の言語)とターゲット言語(聞き手の言語)、両方で対象分野の知識を身につける必要がある。「言っていることは分かるんだけど、訳語が出てこない」というもどかしい状況に出くわすことが私自身よくあるが、知識不足は理解不足につながってしまう。
・書くと時間がかかる。話すと頭の回転が早くなるが、記憶に残らない。
・普段、和製英語が口をついて出てきそうになると、日本語に言い換えるようにしている。トイレはトイレでまぁいいのだが、とりあえず「お手洗い」。はて、学問用語の「アプローチ」はどうすればいいのか。台風じゃあるまいし「接近」とはいえないし、「近づくこと」じゃしまりがないし、「お近づき」では艶っぽい話になっちゃう。こうなったら訳語を避け、助詞だけでほのめかすのはどうだろう。「考古学的アプローチ」でなく「考古学の観点から(・・・)」みたいな・・・。どなたか、泥沼の私に助け舟を・・・!



ゆくゆく調べたいこと
・Choniの語源と定義。街頭インタビューとかおもしろそうだな。日本語の訳で最も近いのは「ギャル」かな。言葉の綾といいますか、こんなことがあった。学士論文で江戸時代の町人の暮らしについて書いたという学友のA君。彼は論文のタイトルを述べる際、「町人(Cho-nin)」という言葉を「チョニン」と、母音を短く、さらに語尾を弱めて発音するんですね。最後の「ン」がほとんど聞き取ず、どうしても「チョニー(Choni)」としか聞こえない。「えっ、江戸時代のギャル!?」。心の中で何べんも耳を疑っちゃった。




本日気の言葉 / 町人(町の人といっても、江戸時代の城下町の商人や職人からなるブルジョア階級やその文化のことを指すのだそうだ。) / 楽市・楽座(現代のフリーマーケット。自由取引市場。織田信長すごし。) / 問屋 / ぬけ荷品 / 御用商人化(商売上の癒着関係) / マーチャンダイジング / 落款(らっかん、水墨画で使われる印鑑のこと) / 絵元(えもと、水墨画で、絵の構図や流れを考慮する際に、流動性の始動点となる部分。例えば、滝の絵の場合、水の流れの向きが右ならば、左側がえもととなる。)


煤(すす、hollín)、松脂(Resina de pino

司馬遼太郎

露呈する 過大評価する




日記

 昨日、サラマンカ大学における東洋学修士課程の前期がいよいよ始まり、本日は 東洋社会の変化 Cambio Social Asia Oriental という科目の一回目の講義があった。

 教壇に立ったのは黒縁めがねで背丈の高い、ハイメ・リリエヴェ・ゴメス教授。おっとりとした笑顔で優しそうな感じ。優しそうな笑顔にホッと安心、してる場合じゃないぞ。文献いろいろ読まねば。

 日本語教師を目指すのはいいが、これまで言語学にばかり没頭してきた私、その他の分野の知識は皆無に近いとまでは言わないものの、短期的な暗記ばかりを繰り返した受験勉強の弊害か、歴史も社会もほとんど覚えておらんのじゃよ。これから一念発起、初心にかえり、我が国について学んでいこう。