グレドス山系の天然プール Pozo de las Paredes

Aniブロ読者の皆様、ご無沙汰しておりました、気まぐれブロガーのAnikoです。

先日、念願の天然プール、ポソ・デ・ラス・パレデス(Pozo de las Paredes)に行って参りました。

そこは「壁囲いの井戸」という名前の通り、高さ約10メートルの崖断面とローマ風のアーチ橋、雑木林に四方を囲まれた谷底に穏やかに流れるトルメス川の支流の一角にあり、小ぢんまりとした憩いの場として訪れる人々を魅了し、地域の人々の暑さしのぎの名所となっています。
(絶景パノラマ写真。Frickrよりhttp://www.flickr.com/photos/delpicua/9436441622/

ほら、透き通った水がとーっても綺麗なんです。深い川底まで陽光が届くほどに透明。水温は夏でも凍てつくように冷たいのですが、一度ど根性で首まで浸かってしまえば、あとは皮膚感覚が麻痺してしまうためか、ぜーんぜんへっちゃら。まるで温泉にでも入っているかのようにスイスイ気持ちよく泳げちゃいます。

でもやっぱり冷たいものは冷たいよ〜というわけで、足だけつけてチャポチャポするも良し、程よく温まった川辺の岩にタオルを敷いて日光浴をするも良し。

正午以降はだんだん人数も多くなるので、もしピクニック気分で一日中のんびりしたいなら、正午までの早い時間に行くことをおすすめします。とはいっても、まぁ、場所取りに気をとられてせかせかするよりは、朝の静けさを味わいに早めに出よう程度の心持ちでいるほうが心地良いですね。

こう山と自然に囲まれていると、人の声も鳥のさえずりも耳をなでるようなバックミュージックにかわり、日常のごたごたを忘れさせてくれる。

そして、そこにぽつんと浮かんでいるだけの、人の粒。気持ちよさそう。

またふと気がつくと、目の前で、水に入るのをためらう見知らぬ男性。足の先からはためらいのしずくがぽとりと川に落ち、静かな波紋を打っていました。

その光景がとても詩的で美しく、サンサンと照る夏の日差しとコントラストを成すように脳裏に焼きついています。

さて、この天然プールの場所ですが、カスティーリャ・イ・レオン(Castilla y Leon)州はサラマンカ県とアビラ県を隔てるグレドス山系(Sierra de Gredos)で、アビラ県側にあるナバセペダ・デ・トルメス(Navacepeda de Tormes)村に位置します。

アクセスは車のみ(一応バスも通っているようですが、便数が非常に限られていてあまり頼りにはならないかも)で、村までの道のりは山道ですが、アスファルト舗装になっており、さらに水場の近く約20メートル付近(橋の手前、写真の左側)に駐車場もあるので比較的便利です。

ちなみに、このアーチ橋から望んだ川の様子。

Googleマップでも景観をご覧になれます。写真中央の橋を渡って向こう岸の右手に行くと川辺に下りることが出来ます。

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日記のつもりがこんなことに・・・ 暇な人だけご覧あれ。

毎日試験勉強で閉じこもり状態だけど、これがちゃんと実になって修業できるなら喜んで閉じこもりましょう!なんていいつつ、窓の外は紺碧の空、飛び交うつばめたちの鳴き声、お外に出たくなっちゃうわ。

ここんところ日記をおあずけしていたので、ざっと一週間の出来事をめもっちゃいます。巻き戻し、開始!

先ほど夫(オトちゃん)と一緒にランチを済ませました。オトちゃんママが持ってきてくれた手作りのミートソースを使ったスパゲティー細麺のお料理、副菜に豚ロース一人2切れ。これまた別荘の畑でとれたレタスのサラダ(味付けはお醤油、サラダ油、リンゴ酢)。オトちゃんは職場で必要な機械の代金支払いついでにたまっていたゴミを出してくれた。

(以下丁寧語やめ〜。)

午前中、息抜きがてらに少しだけCocco出演のKOTOKOという映画のトレイラーをみた。Cocco、今どんな活動してるんだろうとか、彼女は彼女らしく自然体で生きることができて羨ましいなと思ったりもした。

そのあと、検索結果リストに出ていたデイリーモーション動画(見なきゃいいのにクリックしちゃう自分のバカ〜)で『僕らの音楽』というTV番組にCocco香取慎吾が出演、短い対談をしていて、不思議な感じだった。というのも、Coccoはゲストで、ゲストの会いたい芸能人として慎吾ちゃんが出演、という設定なんだけど、慎吾ちゃん、何を話していいのか、Coccoの発言に対してどう応対していいのか分からず少し困ったように見えた。

Coccoって、話し方はとてもたどたどしくて、見ててはらはらすること間違いなしなんだけど、時折、というか大体の場合において、誰かの質問に対してその質問をちゃんと吟味して、まともなことをわかりやすい言葉でストレートに話すところがすごいなって思う。話し方、どうしても違和感があるけど、それはCoccoが誰とでもどんな状況でも同じように話すからで、例えば沖縄の海で沖縄を見つめながら語りかけるCoccoと、東京の全国放送TVで不特定多数の視聴者に向かって語るCoccoは(緊張度とかは別にして、話し方としては)全く同じ。場所や人に合わせてマスクを使い分けることが礼儀マナーの常識とされているこの社会ではどうしても浮いた存在になるのは仕方のないことなんだけど、それは必ずしも「いけない」ことではなく、アーティストと呼ばれる人たちは表現する人として逆にこういう個性を全面に出すからこその存在なんだよなきっと。普段私達が理性で感情表現を抑えようとする毎日の中で、こういうアーティストの人々に自分の内面、心の奥底に押し込めた欲求や感情を見出す、そこに芸術や表現者の価値が見出されるんだと思う。・・・説明くどいか(笑)。

ん?

ってことは、やっぱりアイドルとか好きな芸能人とかって、自分がこうありたいと思う人生のたくさんの過去の選択肢の一つ、なのかな。ってまたややこしいこと言っちゃって。

20世紀初期スペインの哲学者であり文学者のウナムーノさんの言ってたところのYo-Ex-Futuro(英語ならアイ=エックス=ヒューチャー、和訳なら私・元・未来)ってまさにそういうことだよね。一つ一つの選択肢の中から選び取ってきたものが今の自分の姿で、自分の人生を構成している。その一方で選択しなかったけれども、選択肢としてそこにあった無限の可能性をもし選びとったと仮定した場合の時系列の延長線上にあるのが私の元未来。考え自体はとてもシンプルで普遍的なんだけど、この昔あり得た可能性に的をついた名前をつけたところがやっぱすごいよね。(←説明になってる?)

でももっとすごいのは、名前をつけることによって、それらの可能性の存在に私たちの意識という照明ライトが当てられるところにあるのかな。昔あった可能性を自覚することで、今を肯定できるというか。「本当はああなりたかった・・・」っていう後悔じゃなくて、「こういう選択肢もあったなかから、私はこの道を選んで歩いてきた」みたいな自信につながる。(←自己啓発モドキモード、うわぁ。)

要は、Coccoにどこか憧れる気持ちがあるのは、私にとって自然体の自分をありのままに出すことの恐れを見事に拭い去るだけの情熱がある人として尊敬するからなんだろうな。

ただ、だからといってCoccoのようになりたいというのではなく、過去の可能性として、こういう生き方もあるね、って納得できるということなので、実際には憧れると言うよりも、対等の人間同士として自分とは違う誰かの生き方を尊重する、ということなのかな。

何を偉そうなこといってんだかね(笑)。話どんどんそれちゃって収拾つかないし。えらいこった!

でも、根底のところはやっぱそうだよな・・・。・・・本当にそうか?

本当に、人間って対等なんだろうか。どっかの国の王様と、私のようにまだ社会に貢献するどころか周りからお世話になっているばかりの人間と、どこかの国の死刑台に立つ凶悪犯は、対等なんだろうか・・・。

日記書きながら、どうしてこんな瞑想に走ってしまうのだ〜。ただこの一週間の出来事を書こうとしただけなのに・・・。ああもう時間ないのでおしまい。

一週間の巻き戻しどころか、スローモーションで映像飛んじまった古いビデオみたいな記事になってしまった。

もう、これだからブログ書けないのよね。

さっさと勉強シローーーー!!ってオトの様のお怒りが聞こえてきそうなので、今日はこれでおしまいじゃ!!!

El Castillo de Buen Amor 「良き愛の城」

(以下の文章はカスティーリャ・イ・レオン自治州テレビ局編纂による特集ビデオを主な情報源とし、その他複数のスペイン語サイトをもとに書き記したものです。詳しくは後述のリンクをご参考ください。)

スペインはカスティーリャ・イ・レオン自治州サラマンカ県トパス(Topas)村の、草原とワイン畑の只中に、「良き愛の城(Castillo de Buen Amor)」(エル・カスティージョ・デ・ブエン・アモール)として知られるお城がぽつり、内陸の乾いた太陽の下に干からびつつ、ひっそりと、しかし今も尚華麗さを失わず、そこに佇んでいる。夜露あるいは霜につつまれた明け方の愛の城はといえば、潤いと神秘の愛に抱かれるように、建築から数世紀が経過した今も尚、中世の息吹をそのままに感じさせてくれる、まさに人里離れた憩いの場所である。
もともとは12世紀末から13世紀初頭にかけて220人を収容するほどの軍隊宿営地として建設され、その後、軍事的役割を果たし終えた城砦とその周辺の土地の所有権は、貴族や王族の手を経、現在は私営ホテルとして機能している。
●所有権の移転●
城の所有権はまずGutierre Alvarez de Toledo氏(グティエレ・アルバレス・デ・トレド、1376-1446、後のアルバ公爵一世)によって買い取られた。氏はアルバ・デ・トルメス村の貴族の家に生まれ、カトリック教会パレンシア司教(Obispo de Palencia)及びセビージャ大司教を務めた人物である。後にアルバ公爵はカトリック両王に城砦を寄贈、さらにアロンソ・デ・バレンシア(Alonso de Valencia)氏(フアン・デ・バレンシアJuan de Valencia【生年不明-1412年】の息子でありサモラ市会議員を務めた人物)の所有を経た後、1460年、アロソ・デ・フォンセカ・イ・アセヴェド(Alonso II de Fonseca、生年不明―1512年没、サンティアゴ大司教)によって買取・改築が施されたと言い伝えられた(後述参照)。
1931年、国有財産として登録された当城砦は、1948年にエスペランサ・フェルナンデス・デ・トロコニス婦人によって買い取られ、2000年頃(?)までトロコニス家の第二の住居とされたという。
●「良き愛の城」●
また、「良き愛の城」という通称についても、はじめのうちはアロンソ・デ・フォンセカ司教とその愛人で城砦に随時居住したとされるマリア・デ・ウジョア(Maria de Ulloa)の内縁関係にまつわる、悲しい愛の物語に由来するとされた。
しかし、これまでの歴史調査研究の最終結果、「良き愛の城」という呼称の由来の依拠するところは、実はアロンソ二世ではなく、その従兄弟で同姓同名のアロンソ(・ウジョア)・デフォンセカ・キハーダ氏(Alfonso Ulloa de Fonseca Quijada、生年不明―1505年没)とその愛人の愛の物語にまつわるものであることが分かっている。
キハーダ氏は(カスティーリャ・イ・レオン自治州サラマンカ県アビラ市ならびに同州ソリア県オスマ市及びカスティーリャ・イ・ラマンチャ自治州クエンカ県クエンカ市の司教を務め、サラマンカ県旧ヴィジャヌエバ・デ・カニェド領地(antiguo señorío de Villanueva de Cañedo)の領主としても名高い人物で、生涯の愛人であったテレサ・デ・ラス・クエバス嬢(Doña Teresa de las Cuevas)との間に4人の子(長男グティエレス氏、次男フェルナンド氏、長女アナ嬢、次女イサベル嬢)をもうけた。そのため、二人の関係は内密とはもはや言い難いものではあったが、いずれにせよ中世カトリック教国の辺境で愛人関係を赤裸々に公表することは無論社会的に許されるはずがなく、二人の愛は生涯を通じて城内に閉ざされる運命にあった。
二人の亡骸は現在、サモラ県トロ市のサン・イルデフォンソ修道院に(キハーダ氏の亡骸は主要礼拝堂、テレサ・デ・ラス・クエバス嬢はキハーダ市の母親の遺体と伴に同修道院の別の礼拝堂に)埋葬されているという。

●「良き愛の城」情報サイト及び参考リンク(スペイン語)●

インターネット上の情報サイトはスペイン語で検索にも関わらず案外少ないもので、私自身少し予想外で驚きを覚えております。以下は、中でも有用だと思われるリンクですので、ご興味のある方はどうぞご参照ください。スペイン語サイトではありますが、写真や映像もご覧になれます。

  • emc2 (emociones en salamanca) El Castillo de Buen Amor- habitaciones con derecho a fantasma- por Luis Garcia Jambrina (profesor de la Universidad de Salamanca)

http://www.dipsanet.es/turismo/emociones/emociones14/noticia1.php

上記は、サラマンカ大学文献学部スペイン文学教授であるルイス・アルベルト・ハンブリナ氏による記事へのリンクです。『時を越えて』というモットーを生涯貫いたというキハーダ氏と愛人イサベル嬢の深い愛情は、まさに数世紀の時の経過を経て現在にまで受け継がれているのだという内容の記事で、中世の愛の城を文学的な視点からの眺めるという、貴重かつ読み応えのある記事だと思います。

以下3つのリンクはYouTubeにアップロードされたドキュメンタリー映像で、ミステリー系の焦点から城砦にまつわる不思議な出来事について、城砦の現在の経営者や使用人の方たちのインタビューが記録されています。当ブログ記事は主にこの映像を参照しています。

  • Castillo de Buen Amor Misterioso 1 de 3

http://www.youtube.com/watch?v=b8f95vzqBqA

  • Castillo de Buen Amor Misterioso 2 de 3

http://www.youtube.com/watch?v=MR_9dkJtrHY

  • Castillo de Buen Amor Misterioso 3 de 3

http://www.youtube.com/watch?v=rZexMe35HT8

次のリンクはスペイン国内の城砦についてその歴史や見所を写真を交えて紹介しているサイトです。昔と現在の写真が掲載されている点が非常に興味深く思われます。

  • Castillos de España > Castillo de Buen Amor

http://galeon.com/castsalamanca/buenamor.htm

最後に、Wikipediaから城主であったキハーダ氏のリンクです。

  • Alonso Ulloa de Fonseca Quijada

http://es.wikipedia.org/wiki/Alonso_Ulloa_de_Fonseca_Quijada

「私の一番伝えたいメッセージ、それは『戦い続ける』こと。」

  本日、サラマンカ大学文献学部の大講堂(Aula Magna)で、Luis Garcia Jambrina(ルイス・ガルシア・ハンブリナ)教授の主催する詩の朗読会の一環として、スペイン女性詩人Almudena Guzman(アルムデナ・グスマン)氏が来訪し朗読及び講演会が開催された。

  アルムデナ氏は1964年マドリッド生まれ。若干15歳でデビュー作の『リダ・サルの詩(Poemas de Lida Sal)』が出版されるも、詩を書き始めたのは実に6歳の頃だったという。1984年の作品『忘却のビーチ(Playa del Olvido)』からわずか2年後の1986年、高校教師との禁断の愛を主人公である女学生の視点から描いたことで話題と反響を呼んだ作品『あなた(Usted)』(イペリオン(Hiperion)出版)がイペリオン文学賞を受賞。

  それまでのスペイン文壇において活躍した女性詩人は数少なく、例えばカトリックカルメル会修道女として生涯を文学と信仰に捧げた16世紀初期の女性詩人聖女テレサ(Santa Teresa de Jesus)や、19世紀初期のロサリア・デ・カストロ(Rosalia de Castro)が代表的な人物として挙げられるものの、20世紀後半にスペイン文学史上初めて女性詩人として大々的に脚光を浴びたのがアルムデナ・グスマン氏なのだ。

  全ての作品において一貫した彼女の特徴といえば、常に日常的でシンプルな言葉使いと豊かな感情表現。あくまでも自然体を意識した言葉使いと一見平凡とも言えるシチュエーションの中で、愛情や嫉妬、青春や官能の世界を描いたこのヒット作は、フランコ独裁政権から逸脱し民主政治と経済成長の道のりを歩みつつあった当時のスペイン社会において、幅広い層の読者(特に女性読者)を釘付けにした事実は想像に易いだろう。

  ちなみに、先ほど本作品の紹介にあたって「禁断の」といういわば生徒と教師の恋を修飾するのにお決まりの形容詞を用いてしまったが、この言葉から連想されるようなドラマチックな感情の泥沼といった印象や重たさはまずなく、伝統的な感傷主義(Sentimentalismo)や憂鬱(Melancolismo)にも決して陥らない、さらに過去にも縛られない、というような女学生のさらりとした感覚が読者にとっては新鮮であったようだ。

  その後1989年に発表された『タマールの本(El Libro de Tamar)』(マドリード・イペリオン出版)は主人公の少年タマールと友人ダニエル(Daniel)の特殊な友情を描いた作品で、グスマン氏はこの本について

「今となっては感情移入の激しさに共感できませんが、まぁ出来は悪くても私の息子であることに変りありませんからね(Aunque sea tonto, sigue siendo mi hijo)」

とユーモア交じりに語った。

  この本のプロローグを記したサモラ出身の著名な詩人クラウディオ・ロドリゲス(Claudio Rodriguez)氏はアルムデナ氏の詩を大変評価されていたらしく、当時から友好関係にあったハンブリナ教授(本日の講演会の主催者)にこの作品を読むように薦めたのだとか。この点について教授は、「いやぁ、実はここだけの話なんですがね、私があなたの詩を読み始めたのもクラウディオのプロローグがきっかけなんでして・・・」と少しはにかみながら語っていらして、それをグスマン氏が「え、そういうことだったのぉ〜」なんて合いの手を入れるという、心の置ける詩人同士ならではの頬ましいやりとりが交わされ、ほぼ満員の会場も笑いに包まれた。

  さらに2年後の2001年には、時の経過とともに移り行く愛について描いた詩集『カレンダー(Calendario)』(同出版社)が発表され、この作品をもって「無垢な愛情」(グスマン氏は「白き愛情(amor blanco)」という表現をされていた)をテーマにした作品にひとまず終止符が打たれる。

  グスマン氏は2005年に発表された『赤い王子様(El Principe Rojo)』について、まず、

「これは詩人として新しい局面へと向かう、いわば移行期(transicion)の作品として私は位置づけています」

と述べた後、主なテーマである『復讐と憎しみ』については、

「復讐や憎しみは決して愛情と相反するものではなく、愛情の一面であり、表裏一体のものだというふうに思います。伝統的にはモラル上「正しくない」とされてきた否定的な感情は、それ自体が悪ではありません。ですからこのようなマイナスの感情にだって言葉を与えられ詩という形で表現される権利があると思うのです(笑)。ただ、自らそのような感情を生み出しそれをむき出しにすればそれは問題ですが。そうした一切合切の陰の感情を体現するフィクションの人物、それが「赤い王子」です。」

と述べていた。つまり、マイナスの感情を象徴した「赤い王子」はあくまでも「王子」なのであり、西洋で理想的な男性像の象徴とされる「青い王子」の「青」にこめられた(貴公子、紳士、優しさ、優雅さなどの)甘いイメージを文字ったもので、風刺のこもったタイトルが当作品の全体像を物語っている。ここで氏は、

「こんなことを言うと、私という詩人はおかしな人間だと思われる方もあるかもしれません。」

と前置きをした後、自らの詩の創造プロセスについて語る。

「実は、私はまずすべての作品において最初にタイトルが思いつき、それから本の全体像が浮かび上がるんですね。ですから、タイトルに関しては、何といいましょうかその、インスピレーションを受けるんですね。さらに私は自称デカルトタイプ(Cartesiana)のもの書きですから、残りは熟考に熟考を重ねて、まるで建築家が年月をかけて建物をデザインするように、構成を考えたり言葉をえらんだりするんです。ということは、頭の中では既に印象として出来上がったものを形にするのに、時には数年かかることもあります。そのかわり、一度書いたことは二度と書こうとは思いません。既に書いたものを再び書くことに意味はありませんから。こうした発想の結果として、単発的なものではなく、全体として一貫性のある複数の詩がもともと念頭にあります。つまり私は『詩』を書くというよりも『本』を書くという認識で書き始めるわけです。」

また、プライベートの読書に関しては、

「普段は詩よりも小説のほうを好んで嗜みます。時には小説を書いてみようかと思い立ち、原稿に向かうこともありましたが、私はどうも小説には向いていないようです。というのも、物語のアイディアが浮かんできても、それを短文のうちに全て凝縮して表現してしまうので、長い文章になりません(笑)。散文のように、アイディアを事細かに「間延び」させるのはどうも苦手なのでしょう、私にも良く分かりませんが(笑)」

と語り、詩人として生まれ持った才覚を感じさせた。

(以下編集中。)  

  この会でグスマン氏が朗読された詩については、後日追記することにしても、私にとって氏が数々の作品の中で扱っている主要テーマがもう一つあり、氏はそれを常に模索しているように思われてならない。それは何かといえば、「物事の良し悪し」を判断するための基準がもはや現代に生きる私達にとって何かが明確にできないという状況であり、冷たくも熱くもない「ぬるい時代(edad tibia)」に生きているという自意識に焦点を当てている点である。

  2011年の最新作品『共有スペース(Zonas Comunes)』には、現在のスペイン経済危機や失業問題に皮肉な意味での先駆けともいえるような作者自身の体験が詩につづられている。詩人の傍らABC新聞社の記者として働いていたグスマン氏は、一時的解雇処分を受けた(スペイン語ではExpediente de Regulacion de Empleo、略してエレ(ERE)という)。この処分決定が宣言され執行されるまでに数ヶ月かかったというが、処分が自分の身に下されることを予期した社員の心境が一体どんなものであったか、その辛さや苦しみというものを、氏は身をもって体験したという。

  この弱肉強食の時代に、「勝ち組(Triunfador)」か「負け組み(Perdedor)」かの二極単化が進み、前者になることばかりに重きが置かれる一方で、人を人たらしめる理性、倫理、思いやり、感受性、そういったものは踏みにじられ、不要とされる。そんな現代社会に対する強い批判が最後の作品にはこめられている。

  そしてグスマン氏は言う。

「私は何も虚無主義(Nihilismo)に走っているのではありません。絶望感ばかりを強調するわけでもありません。私が何よりも言いたいことは、「諦めてはいけない」ということです。「戦い続ける」しかありません。すべてを世の中のせいにして努力を怠ってはいけない。宇宙において、人間というのはこの指先にも取るに足らない存在なんです。コペルニクスも説いたように、人間はこの大宇宙の中軸でもなんでもない。小さな存在でありながら、奢り高ぶる人間達がこの世界を支配しようとし、弱いものを踏みにじる。こんな社会において、私達は戦いを放棄せず、一緒に戦いつづけなければなりません。」

  本日の講演会を聞いて、私は彼女のこうした強い意志に共鳴を受け、こうした社会批判の代弁者の語る言葉を少しでも広められればという気持ちからこの記事を書こうと思った。

  最後に、最も印象的だったことについて。彼女は決して饒舌とはいえない、時にはとぎれとぎれの、しかし確信を秘めた言葉で、堂々とかつ丁重な話し方で聴衆に語りかけた。少しどもったような話し方で、たどたどしさすら垣間見えた。だが、このたどたどしさに、私は誠意を感じた。雄弁に民衆をたぶらかそうとする偽善的な政治家とも、お金と権力で全てを解決できると考える人間達のふてぶてしさとも違う、敏感さ、思いやり、そういうものがとぎれとぎれの言葉を繋ぎ合わせていた。そして、自分の意思で言葉を選び取り道を切り開こうとする、自然体な詩人の姿がそこにはあったと思う。

  なんて、最後の部分は若干肩肘張りすぎたようだけど。まあ仕方ない。私の理想主義的な面がどうもそういう傾向に走ってしまう。

  以上、アルムデナグスマン氏の詩、お勧めです。後日、Aniko訳にも挑戦してみようかと思います。

  



  



  

授業フィードバック:20世紀北米演劇

  • 本日の授業構成
    • ウォーミングアップ:
      • ゲーム:
    • O'Neill, Eugene. Desire under the Elms (1925). In The Collected Plays of Eugene O'Neill. London> Jonathan Cape, 1988.
    • Hellman, Lillian The Children's Hour (1934).In Six Plays by Lillian Hellman. New York> Vintage Books, 1979.

授業フィードバック:英文学の果実をかじり、味わいつつ。

  サラマンカ大学英語科4年目にして、ようやく英文学を楽しめるようになりつつある、というよりも喜びが苦痛を上回った、という方が正確か。そりゃいくらなんでもエンジンかかるのが遅すぎなのは?というご批判もありかと自覚の上で。

  Olga Barrios 女史が講師を務める「20世紀北米演劇」及び「植民地後英語文学」の授業が始まって以来早一ヶ月が経った中、今までにない充実感を感じている。この感覚が冷めてしまう前に、いつかこの喜びを忘れてしまうことがあったらまた思い出せるように、書き留めておこうとおもう。

  授業の大枠としては、まず、毎週いくつかの文献を読みそれにまつわる課題を提出するという事前段階を踏み、授業時間は主にプレゼン、学生同士の意見交換や討論に徹する。講師からの一方的なインプットのみに始終する本学科の一般的スタイルに飽き果てた学生達が、午後16時から19時までの3時間、覇気旺盛にモチベーション高く自由に意見する。

  普段の授業では時に質問することはあっても自ら積極的に発言することのない私は、初めのうちどぎまぎしっぱなし。というのも、「(意見を聞かれるの)待ってました」と言わんばかりに四方八方から早口で明快な意見が飛び交う中、スピーディーな運びについていくのが精一杯。言いたいことはあるが、タイミングがつかめない。さらに、唯一の東洋学生で久々の発言に声が上ずりでもしたら・・・みたいな自意識過剰も邪魔していた。

  数日この状態が続きながらも、自分の中では葛藤があった。声なんか上ずろうがなかろうがどうでもいいことじゃない。自分で思っているほど他人は気にしていないかもしれない。それよりも今このチャンスをみすみす逃すことのほうが馬鹿げてる。行動の結果失敗に終わるほうが断然成長に繋がるし・・・などなど、とにかくこんな些細なことをよくもまぁここまで自問自答しちゃって、我ながら(表現は乱暴だが)「くそまじめ」だなぁと半分あきれる具合だが、要は、そうすることで吹っ切れたのも確かだ。

  その結果、今日の授業では植民地後アフリカ文学という焦点から、Ama Ata Aidoo氏のAnowaという作品について討論し、自分なりの解釈をある程度表現することができ、また他の学生の解釈や論点を共有することができ、新たなる解釈の可能性や見方に気づかされ、グループで取り組むからこその「気づき」のプロセスが楽しくて仕方が無いと思えた。

  今まで、自分は言語学の方を得意分野とし、文学はあんまり、という風に自ら距離を置いてきた節があったのだが、これからはこんな前置き、もうよそうと思う。「苦手だから」というスタンスは無駄なばかりか有害だと身をもって分かった。

  始業時期、学部の教授はたいてい「諸君は言語文学科の学生だから文学書を読むことに苦痛を感じることはないだろうが」・・・という類の前置きをする。通常、最前列でこのフレーズを聞くたびに思わず目を伏せ視線をそらしてきた私。あのぎこちなさ。「苦痛」という言葉が鉛のように重く、痛く心に突き刺ささり、心臓をえぐられた。

  卒業までに、このフレーズが他人事になれば本望だ・・・

  なんて、低レベルの目標をクリアした今日の自分に、とりあえず目をつむって、乾杯。

自家製ヘアパックに挑戦!の巻

 昨日の日記にも書きましたとおり、数週間前に下手なソバージュをかけてもらってぼさぼさヘアになってしまったAnikoです。なんとかお金をかけずに家でできる自家製ヘアケアアイテム、パックレシピを検索してみましたら、いろいろ出てきました。中でも目立つのは『卵のヘアパック』・・・それって本当に効くんでしょうか。
 というわけで、実際に検証してみます。まずはネットで下調べ。下記のリンク集を参考に情報をまとめてみました。

全ての髪質に『卵パック』。

  • 卵の成分について
  • パック方法
    • その1:使い分け方法
      • 普通の髪質なら全卵、痛んだ髪は黄身、脂っぽい髪は白身、を使う方法。
      • パック前に水洗いをすませ、卵1〜2個を髪全体になじませ、20分間放置。水かぬるま湯で洗い流す。お湯だと卵が固まってしまうので注意。その後、いつもの手順でシャンプーイング。
    • その2:蜂蜜と混ぜて香りよく
      • 生卵1個に蜂蜜を入れたものを髪の毛にたっぷり乗せてなじませ、タオルを巻いて待つこと20分。洗い流したら普通にシャンプー。
        • 痛みや軋みは修復されないものの、ふわふわ感はアップするみたい。

髪質に合わせた色々なパック方法。

  • ビールパック
    • オリーブオイル、ビール、卵をまぜて髪に刷り込む方法は増毛向け。
  • 乳製品でお手入れ
    • 乳酸菌はスタイリング剤や埃を除去し潤いを与えてくれるとか。ヨーグルト、サワークリームなどをつかいダメージ修復、髪にはりとコシを取り戻す。
      • 高温殺菌した安価な牛乳だと発疹症状が出る可能性もあるとか。
      • やはり無添加物がいいのでしょうか。
  • 蜂蜜ケア
    • ドライヘア、ダメージヘアに天然保湿効果。これにアボガド卵黄を入れるとさらに効果アップするらしい。
  • コーンミールorコーンスターチでトリートメント
    • 脂っぽい髪質にさらさら感を。
  • アボガドで新陳代謝促進
    • ビタミンEやオレイン酸が豊富なアボガドは抗酸化作用を持つ。広がりやすい髪に栄養を補給。卵黄マヨネーズを加えてもOKとか。
  • ハーブで洗髪、ふわふわヘア
    • 汗をかいても無臭で艶々、サラサラ?どんなハーブも効くから日替わりケア?
      • ホントかしら・・・。
  • ゴマ油でマッサージ
    • 冷搾ごま油(太白のごま油(黒)など)で頭皮を優しく揉みほぐす。キュアリング済みオイル(いったん100度近くまで温度をあげて冷却したもので、抗酸化物質が増すらしい)か湯煎オイル(容器ごと湯の中で間接的に熱する方法で100度で熱すること)がポイントとか。
      • 冷却といっても、暖かい状態でマッサージするといいらしい。
      • マッサージ後はお風呂の蒸気を利用してしばらくタオルで保湿。
      • 残ったオイルで顔マッサージ、ボディーマッサージをするとむくみやかゆみを解消し、指どおりもなめらかな仕上がりになるとのこと。
  • オリーブオイル使用
    • においが少しきついみたい。
  • 敏感肌にはアーモンドオイル


参考リンク集

 
 とりあえず、全卵と蜂蜜のレシピを使ってみたいと思います。どうなるかしら〜★結果発表をお楽しみに♪♪

全卵と蜂蜜、星2つ半★★☆
さっそく冷蔵庫にあったヨード卵と市販の蜂蜜を使って試してみましたら、はっきりと効果が見て取れ、ひどいパサ付きがやや滑らかさを取り戻しつつあります。うれし〜♪
まだまだダメージ感があり、まるで静電気を起こしたような広がりは否めませんが、毎日同じ手順でケアを続けてみたいと思います。
写真もできればアップする予定。

のほほんな一日は明日のヤル気エネルギー源★

いつもご閲覧ありがとうございます、気まぐれブロガーのAnikoです。
本日の日記は長くなってしまったので読みやすいよう小見出し付にしましたから、どうぞお好きなように飛ばし読みでもしちゃってくださいませ★

久々の友人とゆんたくナイト
  昨日は久々に会った友達と夜の街をお散歩、いうなれば結婚式を目前に独身遊ばナイトで午前4時頃までおしゃべりに花を咲かせて参りました。
 出かけたのはサラマンカVandyck地区で、そこはVandyck映画館と、お手頃な値段でおつまみのいただけるバル(スペイン居酒屋)の立ち並ぶサラマンカ旧市街北部のいわば飲み屋街。鉄板焼き系、ファーストフード系、シーフード系といろいろありますが、私のお気に入りはメキシコ風おつまみのいただけるCafe; Bar Mexican Van Dyck地図)。
 なんといっても他のお店と比べるとウェイターさんの対応が気持ち良いもの。まぁ特別素晴らしいという程でもありませんが、サラマンカでは無愛想な態度の接客のほうが日常的なので、まともな接客を受けられて嬉しくなれるのがこのお店の長所の一つです。
 そして、「はしご」先はスペイン広場にあるBirdlandOfficial Site)。概観は貴族の館といった雰囲気を呈する3階だての建物、内装は様々なテイストのアートでデコレートされたおしゃれな雰囲気で、Jazzの聴ける数少ないお店。といっても昨夜はマンボ系の音楽など少し場違い的なBGMも時折ありましたが、まぁ気にしない×2。

寝起きジョギングもなかなか悪くない

 そんなわけで、さすがに今朝はちょっと遅めの起床(ずばり正午前に目覚めちまった)、飲みと朝寝の贅沢三昧を埋め合わせしよう!と意気込み、寝起きでブランチ前のジョギングへ。ただ、どうしても一人じゃぁつまんない、ってなことで、5日前に足の裏をスズメバチにぐっさり刺されて(未だ少し腫れ気味な)きゃわいそうなダーリンに「治癒ウォーキング」と称して口説き落とし、お供をしてもらおう大作戦を実施。テレビっ子で寝そべりが趣味?な彼を「天気もいいし、外の空気吸って来ようよ、気分良くなるぞ〜♪」などどそそのかしてみましたら、まんまと引っかかってくれて、まんざら面倒くさがる様子も無く、乗り気でついて来てれて良かったわぃ。
 それにしても8月15日水曜日の本日はAsuncion de la Virgen (アスンシオン・デ・ラ・ビルヘン、聖母被昇天の日)ということでスペインの祝日だけあり、快晴の下、お散歩やジョギングに勤しむ人も少なからず。
 ウォーキングコースに選んだのはサラマンカ大学スポーツ施設Salas Bajas(サラス・バハス、サイトはこちらですが、着いてみると大学夏季休暇のため8月19日まで閉門なのだそう。ちなみに20日から9月の始業日までの夏の利用時間帯は午後17時から21時半らしく、テニスコート、バスケットコート等の設備利用は始業日までお休み。というわけで、とりあえず来た道を戻りつつ、トルメス川をまたぐローマ橋のちょうどたもとにある陸上競技へ。
 樹木に囲まれた開放感のあるところですから、運動して気持ちをリフレッシュするにはもってこいの場所。着いた頃にはそれまでの心地よいそよ風が止み、いよいよ曇り空の陽光がじりじりと肌を焼きつけ始めてきたので、400メートルトラックを10週ほどさっくりあっさりランニング。とかなんとか言っちゃって、本当は結構しんどかったんです(笑)。蒼顔で一生懸命な走りっぷりを見せつけんとばかりの私。と、それを横目に風景写真を撮っていたダーリンが、走り終えた私のしかめ面だけはちゃっかりと証拠写真に収めてありました(汗)。
 それから少し歩いて、息切れが収まり汗も引いた頃に、今度は芝生でストレッチ。呼吸を意識しながらゆっくりと、なまりきった体のあちこちの筋肉を眠りから優しく起こしてあげたら、節々が気持ちいい〜程度に痛くなり、体が喜んでくれたような気がします。

ランチ

 メイン料理は、じゃが芋やキュウリ、玉ねぎ、有機栽培インゲン豆の入った野菜煮込みとライス、デザートはParaguayas(パラグアージャス、つまり「パラグアイの」という意の名前のついた桃)をカットしたもの。これが甘くて美味しいんです!
休日の昼下がりを川の辺でゆったりと過ごすなら。

 午後はPachamamaサイト)というオープンテラス付の川沿いカフェでお茶をしながら、雑誌を読んだりおしゃべりしたりと、ゆった〜りまった〜り過ごしました。
 実はこのお店、最近リニューアルしたばかりで(サイトの写真は改築前のものですが)、地元で人気の穴場です。お手軽なお値段で、おいしいおつまみや食事もでき、シックな雰囲気が楽しめます。毎週木曜の夜ともなれば、オーナーさんの友人達が集まって生演奏するJazzやボサノバ、キューバ音楽を聴きながら雰囲気たっぷりな辺の宵に酔わんやとばかりに大勢の人で賑わいを見せます。なので、順番待ちせずして席が見つかればラッキーといった盛況ぶり。平日の静かな日には、夕涼みをしながら川辺でディナーを味わえるのもここならでわの楽しみで、お勧めは種類多様な焼きたてピザ。木曜以外なら予約も可。冬場といえば、やはりかなり底冷えする川辺ですが、大きなガラス張りの窓で防寒対策もされているようなので、そこから眺める景色を嗜むこともできます。

歩行者天国でにぎわいを見せる陶芸品市

 さて、サラマンカの商店街目抜き通りといえば、マイオール広場から北に伸びるCalle Toro(トロ通り)Calle Zamora(サモラ通り)の二つですが、本日は二番目のサモラ通りで陶器手工芸品市場が開催されていたのを思い出し、散歩がてら見に行って参りました。
 いやしかし、我ながらずい暇だったんですねー(笑)。こうして書き綴ってみると、いやはやかなり「のほほん」な暮らしぶりに見えますが、いつもこんなんじゃありませんよぅ(って当たり前だ)。もっとも毎日がこんななら脳みそこんにゃくゼリーになっちゃうだろな〜(←こちらでは売ってないので食べたいのバレバレ)。経済危機という言葉が毎日のようにメディアでも巷の会話でも飛び交うスペイン事情今日この頃ですから、ある程度の「能天気さ」はかえって良薬といえるのかも。こういう日があるからこそ、引き締めるべき時に頑張れるし、やるときゃやれるんですよねっ(・・・と、とりあえず弁解)。
 ところで、手工芸品点のいいところは、それぞれのお店ならでわの商品が並んでいること、つまり「そこにしかない」という土着性と、「その人しかつくれない」という作り手の独創性にまつわる希少価値にあると思います。なので見ているだけでも感性をくすぐられます。 もちろん十人十色で趣味の良し悪しもありますが、いいなと思えるデザイン、手作り間のある商品を見ながら、私の場合は例えば「この器ならあんな料理に合うかな」、「うちのシャワールームの白壁にはこれが合いそう」、などと想像も四方八方に膨らむわけです。
 また、衝動買いをすることなどめったにない私は(偉いなワレ♪)、何でも熟考して買い物をする性質で(賢いなワレ♪)、いいなと思ってもすぐには買いませんが、それでも結構めざとい方ではあります(褒めすぎワレ♪)。たくさんの商品の中から自分の好きなものをパッと直感で判断すると、それをじーっと見つめ脳に焼き付けておき、買うことはせずに、「自分でも作れそう、作りたいグッズ♪」の参考にするんです(要するにセコっ)。なるほど、商売人にとってはかなり迷惑なお客さんですね(笑)。とかいいつつ、もしも宝くじ大当たりでもしたら一気に性格変ったりしてぇ〜〜★
 というわけで、深呼吸で購買欲にブレーキをかけながら、たくさんの素敵な手工芸品ちゃんたちに心の中で「今のところは未だ待っててねー」なんて一時のお別れを告げたのでした。
アルバイト中のお友達に遭遇でカフェをご馳走になる。

 そんなこんなで祝日もそろそろ終わりに近づき、いつもの行きつけのバーのおつまみで軽い夕食を食べた後、心もお腹も満足で帰路についた矢先、これまたお洒落なカフェバーDelicatessenサイト)でバイト中の同級生にばったり。忙しそうだったし、私たちもこれ以上飲食するとお腹キチキチになっちゃうから〜と一度は断ったものの、「テラスなら私がサーブするから寄ってって〜」なんて素敵なスマイルでお誘いを受けちゃぁ、そりゃあーた、ついつい座っちゃいましたわよ。
 で、とりあえず飲み物と(このモダンなお店では違和感のあるかなり庶民的な)イカ天一人分を頼み、接客の合間におしゃべり。しばらくして宵も更けてきたところでおあいそをお願いしたところ、小声で「おごりにするねっ」と上司を背中にウィンク・・・、可愛いっ!!&何か悪ぃなぁ&サンキューっ!でした。
 それにしても、今年からほぼ倍増する学費を自分で賄うために、夏休み返上でせっせと働く彼女の姿には脱帽です・・・。こんなんで本当にいいのかあたし!!・・・と、さすがに内心凹みました。
 が、とりあえずそこで気を取り直し、明日からはまた身見も心も(そしてお財布も)引き締めて日進月歩するのだ!と自分に渇入れ。
 
ところで、このぼさぼさパーマどうしよう。


 どうしようもありませんね。トリートメントしなきゃぁ。

後記つぶやき
軽く書くつもりが長くなってしもたー、これじゃ毎日続かないのも無理ないなぁブログ・・・ 次回はいつになることやら。

とりあえず、今日のところはこれで、

お・し・ま・い。

知らない人同士のユーモアたっぷりな会話に魅了されて。

お久しぶりでございます、スペイン人の会話の卓越さには日々舌を巻いてしまうAnikoです。

先日、川辺で日光浴に勤しみながら、ひょんな光景を目の当たりにしました。

10才前後の女の子が腰の辺りまで水につかる程度の浅瀬から辺りで待つ両親に向かって、

「さてと、どうやってあがろうかしら」

それを見ていた通りがかりのお兄さんが、

「そりゃ簡単だよ。まずは片足を一歩岸にあげて、次にもう一方を置くだけさ」

これをきいた周囲の人々の間でささやかな笑いが起こり、女の子は照れくさそうに、けれどすかさず、

「そりゃそうなんだけど、私が言いたかったのは手が汚れてしまわないように上がるってことなの」

そんな風に、大人の冗談に逞しく掛け合いながらひょひょいと川岸に飛びうつる少女、親子で笑いながら去っていく姿、何事もなかったかのように通りすぎてゆくお兄さん。ものの1分弱のベリーショート寸劇はおしまい、なんだけれど、なぜか記憶に刻まれたワンシーンなのでした。

ウェットです。ウィットがあります。ユーモアがあふれているんですよ、しかも知らない人同士の会話で。きと川辺という開放感ある雰囲気もそうさせるのでしょう。知らない人に話しかけることはこんなにも自然なことだってことを、昔、都会暮らしをしていた頃には忘れてしまうことがありました。

スペインに住み始めて早数年。これぞこの土地の人々の魅力かなとあらためて思います。

Poesía de Amor Ferviente.

Anoche, el sueño me hizo
que tus caricias se convirtieran en
cosquillas pícaras en mi seno
y los fuegos de las velas, en vano,
me llevaron al mundo onírico...


Esta noche, ojalá se reavive
el fuego de tu pasión hacia mí,
que soy toda tuya,
tu gatita angélica.