あんたたがたはね、
御先祖(うやふぁーふじ)ぬちゃーんかい
見守(みーまんてぃ)うたがみそーちくぃみそーちゃるぐとぅ、
ぬーん心配(しわす)くとぅ ねーらんどぉ、
だぁだぁ んみぃくとぅ たぁがぁ生(んー)だん、
んみぃくとぅ たぁがぁ生(んー)だん・・・
魔除けの唾がついた
じゅんぐりむっくりした中指を
みなの額に押し付ける祖母が
口ずさむのを面白がって口真似をした
んーみーくーたーたーがーんーだん
んーみーくーたーたーがーんーだん
それから好き勝手に祈り続ける
まぶやーまぶやー
まーまのふちくる カモン カモン
日曜の夜はいつもあっという間に更けて
子どもたちは眠気に目をこすり
大人たちは明日の仕度に気をとられ
はっさ、今日は急いでるからいーってばー
なぁとぉとぉ、待ちなさい・・・
小柄な体を左右にゆすりながら
小走りにつっかけを履いて玄関の先に急ぐと、
サランラップで包み輪ゴムでしっかりとくくられた
島塩(まーす)のお団子に
庭のムーチーの葉をそそくさと結んだサンを
いつも必ず持たせてくれた
夜更けの門の前
私たちを乗せた車が見えなくなるまで
見送ってくれるばあちゃんに
バイバーイ、バイバーイ!
角を曲がりきるまでしきりに手を振る
窓明かりにぼんやりと照らされて
そこにちょこんと
佇む影
隣の空き地の夜風にそよぐ
ススキはさらさらと
向かいの森に染み渡る
山猫の寝息はすやすやと
坂道を下る溝(どぶ)の
おたまじゃくしはいずこへと
猫屋敷のおばちゃんの
生垣にこんもり実をつけた
琵琶どろぼうの生傷はうっすらと
もう小麦色ではなくなった肌にやんわり
古(いにしへ)の記憶をたどるように
いっぺーにふぇーでーびる
いっぺーにふぇーでーびる
祈りの言葉だけが
いつまでも脳裏に木霊する

**

わんにん、なまや、
うちなぁぐちぇーうほぉくあびららん。
昔(んかし)ぬ記憶だけが頼りやいびぃる。
我んねぇ、どーぅーぬ言葉(くとぅば)や
ぬーんあびらりんむんぬ、
オランダーぬ言葉んかい思(うみ)はまてぃ
来(ち)ちょーいびーたん。
あんやしが、
大和口しぇ「一念発起」んでぃるぐとぅ言葉ぬあいびーぐとぅ、
ひっちーはっちーまちげーるくとぉーんあいびぃんどぅんしぇえ、
とにかくどぅーぬ言葉今日(ちゅ)ぬ明日(あちゃー)から
むる習ちょおんでぃ思(うむ)やびぃん。
あんすぐとぅ思(うむ)やーに、
わんねぇ、毎朝(めえあさ)、
うとぅぬ出勤し出(ん)じちぇーる時なかい、
天国ぬターリーまたひーんめーんかい
からたがふう見守(みぃま)んてぃ
うたがみそーちくぃみしぇーびーるぐとぅ
御願(うにげ)ぇさびら、
御願(うにげ)ぇさびら、
んでぃち 、手(てぃー)うさーそーいびーん。
あんし朝夕想(うむ)い込みやーに
てぃーうさーし行ちどぅんしぇえ、
必じ実成(みぃなゆ)んでぃ思(うむ)やびん。

**


間違いだらけの沖縄口で恥ずかしいのはやまやま。言葉である以上、自分の言葉でも使わなきゃ忘れてしまうのは仕方がない。ならばどんどん使って、あっちこっちつっかえひっかえずっこけながらも、少しずつ上達していけたらと思う。分かいみしぇーるちゅぬちゃーや、我んにんかい手ほどきし習てぃ取らしくぃみそーらんがやーんでぃ思ちょおいびぃくとぅ、ゆたしくう願ぇさびら。

井筒俊彦、イスラーム文化に対する日本的アプローチ

井筒俊彦氏「イスラーム文化―その根底にあるもの―」ワイド社岩波文庫156、第二刷、2001年(第一刷、1994年)。

このを読んでみようと思ったのは、日本の思想史について、とくに明治以降のそれについて考察しようと思ったからだ。

古代からのアニミズム(自然崇拝)としての土着信仰が (「言霊」、「祟り」、という言葉に映し出された日本民族独特の信仰心が)神道と言う民族文化意識として共有されるようになり、さらには外来の宗教である仏教、儒教と関わり合いながら神仏習合という信仰の形が形成されていく。神道天皇の正当性を確立する(奈良時代の中央集権化の)ためのいわば手段として政治と結びつく一方で、仏教は律令制度を確立させ、儒教は人間的倫理観による社会秩序の構築を担った。

予言的宗教 Profhetic Religion ではない、自然発生的アニミズムから発展した自然宗教として、神道が「宗教」としての地位を得ることができたのはなぜなのか。日本的思想とは何か。思想、哲学、宗教、これらを明確に分かつ境界線はあるのだろうか。西洋哲学のように、精神的な世界への科学的なアプローチとしての哲学、そういうものが日本にもあるのだろうか。可能なのだろうか。(ある必要があるのか。)

まぁ、そういった疑問を念頭に置きながら、井筒俊彦氏のイスラーム文化を主題とした本を読みつつも、私としては何よりも、氏が言うところのイスラーム文化に対する日本的なアプローチ(日本のイスラーム学)という視点に特に興味を持って読んでみた。(私が本当に読みたかったのはLanguage and Magic という著書なのだが、入手し難いという理由から、とにかくご本人の言葉でかかれた本であれば何でも良いから読み、彼の言葉でもって描かれた世界観を味わってみたいという理由から最終的に彼の専門分野であるイスラーム文化について書かれたこの本を選んだ。)

この様な観点から本書を読み進め、最終的に私にとって特に印象に残っている箇所、考察し特筆しておきたい箇所が一つ浮き上がってきたので以下に記しておく。

測りがたい神の意志が突然、閃光のようにひらめいて預言者深層意識を言語的に触発する。それがはじめから例えばアラビア語のような人間言語として彼の耳に聞こえてくる場合にはそのまま、そうでない場合はそれを人間言語に翻訳した形で口ばしる。彼の口から断続的に、断片的にほとばしり出る、こういう神的言語が啓示といわれるものであります。この特異な現象を通じて神の意志が言語的に人間に伝わり、それを通じて人間と神とのあいだに一種の人格的つながりが成立するのであります。(57〜58項)

ひらめき、直観、深層意識を言語的に触発するなど、「宗教」以前に、人間なら誰しもが備え持つ言語能力と直観力について言及されている部分である。「神」という言葉に集約される存在がいかなるものであれ、形而上学的実存としての存在との交信が言葉によって行われるということ。

言葉の魔力(言霊)・・・ 「考える、ゆえに我あり Cogito, ergo sum」とデカルトは言った、「考えると思う、ゆえに我ありと思う Cogito cogito, ergo cogito sum」と確かスピノザは言った・・・ がしかし、言語能力なくして考えることはできないのではないか。感覚的に何かを感じることはできても、その強烈な肉体的な感覚を思考の域で表現することはできないのではないか。人間的な言語、という意味で。 結局人間にとってのあらゆる「神」という存在は言葉の産物なのであろうか。


さらに、日本的な視点からのイスラーム文化へのアプローチの必要性については、以下のような言及が見られる。主に序章(「はじめに」)と論末にみられる記述を抜粋する。

[…] イスラームが日本人にとって時局的意義をもっているということ、これはまさしくわれわれの現代的、というよりもむしろ現在的状況です。私がここで特に現在的と申しますのは、つい数年前までわれわれ日本人は、イスラーム圏、あるいは中近東の情勢に対して時局的にもさしたる関心を向けていなかったという実情を頭においてのことであります。十字軍以来、わけても近代の植民地時代を通じて、長い相互的愛憎のしがらみのうちに生きてきた西欧諸国とはこの点で日本は全く違います。(8-9項)

[…] 日本人は日本人の立場から事態を見ますので、今までのように、だいたい西欧の人々の理解したものを間接的に把握するだけでなくていままで誰も気づかなかったようなイスラームの新しい局面まで把握できるということにも、当然なってまいります。 (10項)

[…] (カール・ポッパーの「文化的枠組み」の対立について) 二つの全く違った伝統的文化価値体系の激突によって引き起こされる文化的危機。そのダイナミックな緊迫感の中で、対立する二つの文化(あるいはその一方)は初めて己を他の枠組みの目で批判的に見ることを学ぶのです。そこに思いもかけなかったような視座が生まれ新しい知的地平の展望が開け、それによって自己を超え、相手を超え、さらには自己との相手との対立をも超えて、より高い次元に踏出することも可能になってくる。[…] かつて中国文化との創造的対決を通じて独自の文化を東洋の一角に確立し、さらに西欧文化との創造的な対決を通じて己を近代化することに成功した日本は、いまや中近東と呼ばれる広大なアジア的世界を基盤づけるイスラーム文化にたいして、ふたたび同じような文化的枠組みの対決を迫られる新しい状況に入ろうとしているのではないでしょうか。(16項)

[…] ひるがえって反省してみますと、従来われわれ日本人はイスラームに対してあまりにも無関心でありすぎました、学問的にも、また常識的にも。インド、チベット、中国の研究分野で世界の学問の最高水準を行くと称されるわが国の東洋学は、同じアジアのイスラーム文化圏についてはほとんど白紙の状態です。真に日本的という形容詞をかぶせるに値するようなイスラーム学は全く存在しておりません。日本的仏教学、日本的チベット学等を云々するのと同じ資格、同じ水準で日本的イスラーム学を語ることはできないのです。そして学問がそんな状態であるならば、ましてや一般人の教養としてのイスラーム理解が、西欧の一般知識人のイスラーム理解と比較すべくもないことはむしろ当然でありましょう。(17項)

[…] イスラームとはいったい何なのか、イスラーム教徒(ムスリム)と呼ばれる人たちは何をどう考えているのか、彼らはどういう状況で、何にどう反応するのか、イスラームという文化はいったいどんな本質構造をもっているのか、それをわれわれは的確に捉えなければならないそれが主体的に呑み込めない限りイスラームを含む多元的国際社会なるものを、具体的な形で構想したり、云々したりすることはできないからであります。イスラームという文化の機構が根源的な形で把握されてはじめて、イスラームわれわれ日本人の複数座標的な世界意識の構成要素としてわれわれのうちに創造的に機能することができるようになるでありましょう。(18-19項)

[…] 以上、三回にわたりましてイスラーム文化についてお話いたしました。第一回目の最初にちょっと申しましたが、われわれ日本人は、いままでイスラームについてあまりにも無関心でありすぎたと私は思います。いわゆる世界の地球社会化が急速に進展しつつある現在、東洋と西洋の中間に位置して、重要な世界史的役割を果たしてきた、そして現にいまも果たしつつある、中近東の一大文化、イスラームをわれわれ日本人も、日本人の立場から、日本人独特の見方で積極的に理解するように努めなければならないと思います。(225項)

これまでのように西欧の価値観というフィルターを介したイスラーム解釈ではなく、日本人がイスラームとの直接の文化的関わりから主体的に相手を理解することで、創造的な理解を得、自分自身を高め、対立を超越したつながりをもつことができる、という。つまり、比較研究を通し、文化的危機や対立というものを積極的に考察し、相手と自己を理解することで、自他共に超越し、つながるための「創造的エネルギー」の根源となすこと。井筒氏の著書を読み、多角的な視点を融合した視点を持つという点がまさに日本的な視点であり、井筒氏自身がそれを体現しているのだと思われた。

「残す」ということ (裏題:暇人のたわけ言)

なぜ人間は残そうとするのか
わが身のゆえんを
刻もうとするのか


残すことで残らないことだって
あるかもしれないのに


のこすということは


「貯金をするということ
 子供を生み育てるということ
 語るということ
 描くということ
 伝えようとすること」


これは人間の、動物の、生命の、
宿命なのであろうか
残すという宿命


のこすという強迫観念に
突き動かされて
生きている、生かされている
そんな気がする


[俗な戯れ、本心の戯れ]
(お金が欲しい
 土地が欲しい
 家が欲しい
 夢が欲しい
 希望が欲しい
 信じるものが欲しい
 すべてが欲しい)


なにも残さなくていいのであれば
どんなに気が楽であろうか
物や欲から解放され
心が解き放たれ
ただただ生きていれさえ
すればいいのであれば


そんな生き方
できるだろうか
できないだろうか
できるはず・・・
いやできないはず・・・
できないはずでもできるだろうか・・・


もしかすると
できるかもしれない


もしかすると
もしかするかもしれない


残すことで残らなくなることもあるのか
残そうとしなければ残るのか
残そうとしないことで残るのならば
その裏をかいて残ることを
望むこともできようか


残すことを望まない生き物がいるだろうか
残すことはもはや 宇宙の法則なのだろうか
残さないことはもはや 宇宙の法則にそぐわないだろうか


目を瞑るとそこに暗闇がある
瞼の裏の闇の世界に
光もなければ影もない
奥行きの深い暗闇がある


(おとなきおと
 いろなきいろ
 すがたなきすがた
 ことばなきことば)


(無の中の有
 有の中の無
 あるところになく
 ないところにある)


[生身の私]
(おみゃは坊さんか!
はては仏法に目覚めたか?)


残すということ


自分の存在を知らしめること
何かを築き上げ、それを後世につたえるということ
その根底にある原動力は何か
何が人をそうさせるのか
何が人を掻き立てるのか


日記を書くということ
人生の一部を刻むことで
後世に伝えるというよりも
とにかく自らの生の意味を見出そうとする
残らなくてもいいが
(残そうとすることで 生きることに価値を見出そうとする
自分の存在を肯定しようとする)
人に認められようがなかろうが
とにかく自分だけは自分を肯定しなきゃいけない
そうでないと生きていけない
少なくとも私はそう思う、
あるいはそうだと思い込んでいる
だけなんだろうか


いや、それよりももっと深い原因が
あるのかもしれない
(あるやもしれぬ・・・のぉ、ばぁさん)


自分の存在など空気のように無味乾燥で
誰にも気づかれなくとも暮らしていける人間は
きっとどこかにはいるだろうから
(仙人のように 山にこもり
ひたすら自分の内側だけを見つめることで
精神を高めようとする行為はその現われであろう)


しかし私は
もっと深いところが見たい
深層の海底にもぐりこみ
静寂の深海をただよいたい


恐れだろうか
苦しみだろうか
悲しみだろうか
それともただの海の底・・・


もしも恐れだったとしたら
何に対するそれだろうか


存在が残らないことか
存在を傷つけられることか
それとも肉体次元の問題なのか


痛み
痛みに対する恐れ


[生身の私]
「痛いことは耐えられない
いくら精神を高めたって
痛いことにはかなわない
平常心 平静 落ち着き 誇り
そんなのいったい何になるの
痛みや苦しみは
存在のよりどころを一瞬にして
木っ端微塵にしてくれるじゃないの
なんて恐ろしいの痛みとは!」


私は痛みが恐ろしい
恐れを捨てろといわれれば
日常そのように心がけるが
痛みは不意にやってくるのだ
招かずともやってくる


痛みにおそわれたら
私が私と認識してきた自分というものが
無残に打ち砕かれて
無様な人間に成り下がるだろう


許してください、
なんでもします、と
命にしがみついては
汚物を汚物とも思わず
飲み込むことさえ
意を問いもせず


ともすれば
恐れの先に自己を忘れ
生きるためにはなんでもいたす
ゴミのような人間
それが私の本性だ
それが私の真の姿


拷問に かけれたくはない
傷つけ 傷つきたくもない
へりくだり あなどられるのはもうご免


それは痛いから嫌だというのが
現実的で表層の理由


それは醜い自分を
心の奥にかくまい続けてきた卑しき自分を
目の当たりにするのがいとおぞましいから
これが意識の深層に降り積もった静かな真実


だからなんだ
偉そうに御託を並べたところで
結局のところ真実を変えられるわけではない


いつまでたっても
やっぱり死ぬことは怖いし
息を止めれば苦しくて
(せいぜい二十秒も頑張れればいいほうで)
人に嫌われるのは辛いから愛想笑いも続けるし
迷信が怖くて蜘蛛を殺したりできない
(蚊はいとも爽快にやっつけるのに
罪なき蝿を、そこに居ること自体が
そもそも罪であるかのように
意気揚々と叩き潰してしまうのに)


私という人間は
卑怯者で臆病者で強がりで
言い出せばきりがないほど
一生かかっても言い切れないほど
とにかく、とにもかくにも
どうしようもない人間で、
であるからし
どうしようもなく人間で、
であるからこそまた
自分がかわいく、いとおしく、
そして自分をかわいがり、いつくしもうと
するのだろう


そんなことを あれこれと
真っ暗な夜の世界で思案するのだが
とくべつ今宵に限っていろいろ想いがこみあげるのではない
いつも常に心の様相は激しく変化しているのだ


だけれどもとりたててここに書きたててみれば
なにかとても大切なことのように
摩訶不思議な深層心理の宇宙のように
見てとれないわけでもない


結局のところ
私はここに
自らの存在を書き付けているのだ


なんの変哲もない
ある日ある時ある夜の自分を
あろうことなかろうことすべて
時空を超えて
時空を忘れて
意味もなく書き付けて
意味のない時間を過ごし
この意味なき時を
なぜかこうして書き綴り
時々は読み返し
現にこうして形に残しているではないか


いや、私は形に残そうとして残したのではない
結果的に残ってしまったけれど
ここに描かれていることは
書こうとして書いたことではない
書いているうちにこんな形で現われてきたのだ


書くということは
時間がかかる、
一々言葉にしなければいけない
感覚のまま、時空を瞬時に移動したり、
同時進行で考えを行き来することはできない


頭の中では映像や絵や音楽といった諸々が
調和せずとも不調和もせず
共存し動めき合っているというのに


書こうとすると、言語化しようとすると、
言葉を選ばなきゃいけない、
順序立てなきゃいけない、
心の声が一斉に
ああだこうだ
ああでもないこうでもないと私に訴えかけてきて
あっちをたてればこっちがたたず
こっちをたてればあっちがたたず
言葉たちが競い合って訴えかけてくるのを
いやまて、いまはこっちがさきだ
わかったよ、そこまでいうならやってみな
などとやり取りをしながら
言いたいことを、伝えたいことの主旨を
試行錯誤でたぐりよせながら
つづるということが書くことなんだから


それはそれでいいんだけども
要するに
最初に言いたかったことなど
書いているうちにいくらでも変化してしまうんだ
まるで意思願望を剥ぎ取られた
ただの操り人形のように
キーボードを打つ私という人間は空っぽになり
ただただ言われるがままに
機械的に指を動かしているだけの
抜け殻


信号を送ってくるのは
私の中のいろいろな私で
(だからといって別に
複重人格だと言っているわけじゃない
であったら逆に面白そうなもんだ)
耳を傾ければ調子に乗って
本音建前分け隔てなく
愉快に淫らにはしゃぎはじめる


私とはいったい
はてもかような人格の持ち主であったのか
こんなにも多面で未知な考えをもっていたのか


まるで未開の地を探検するごとく
荒れ狂う大海原に立ち向かう海賊船を率い
その先端に刀を振りかざしては
豪腕猛々しい船員たちを鼓舞する船長がごとく
勇ましく果敢にも無謀に
姿無き敵を打ち倒そうとする
その敵こそは自己なのだが


この薄暗いしょぼくれた穴蔵で
そんな大冒険もできるものかと
それなら人生なかなかいける
などとほくそ笑み
幸せの粒を味わおうと
望みを持つもつかの間


己はここに
みすぼらしく肩をすぼめ
ちまちまと言葉を選り分けては
ひらめきの炎も勢いをなくし
頭を垂れては首を傾げ
猫背に無様なすがいで


名も無き時の
名も無き場所で
名も無き生を
大事に大事に書き綴り
息絶えながら
ここにいたということを
自らに向かって
語り聞かせて
いるのである


残らなくてもいいなんて
本当は思っていないから
できることならば
私の全てをここに
残しておきたいから


残すということは きっと
生きることの副産物
残そうとしなくたって
自ずと残ってしまうのだろう


私はこの世に
何かを残すだろうか
何か大切なことを
残すことができるだろうか


できなればできなかったで
まあそれでもいいと思っている
そう思えば気が楽で
気が楽であれば
生きやすい


残さなくてもいいけれど
残れば残ったでそれもいい


[生身の私]
・・・とかなんとかいいつつ
やっぱりしちゃうんだ
日記投稿(笑)

月ぬ美しゃ

月ぬ 美しゃ 十日三日 La hermosura de la luna, diez días y otros tres
女童 美しゃ 十七つ  La hermosura de la moza, diecisiete
ほーいー   ちょーがー








沖縄という魔法が解けてゆく
幼き心に焼きついているはずの
香りも風景も言葉も音楽も
全てはぼんやりと薄らいでゆく


沖縄という記憶が遠のいてゆく
ただそこに居たいだけなのに
ぽつりと取り残されて潮風さえも
もう包み込んではくれない


沖縄という魔法
魔法


このまま
とけて
しまう

MAO二日目

本日の科目
東洋社会の変化 Cambio Social Asia Oriental



考えたこと
・大切なのは記憶よりも、多角的な視点を知り、自分なりに考察すること。
・逐語訳より意訳。話者の意図を的確に理解した上で、聞き手にとって分かりやすい訳にする。そのためには多少文章構造をかえたり、予備知識を基に情報を補充したり、臨機応変に対応する。「分かりやすさ」とは具体的に、リズムの良さ、訳文の的確な長さ、構文の多様性、などの要素がある。
・通訳の予備知識を蓄えるには、ソース言語(発話者の言語)とターゲット言語(聞き手の言語)、両方で対象分野の知識を身につける必要がある。「言っていることは分かるんだけど、訳語が出てこない」というもどかしい状況に出くわすことが私自身よくあるが、知識不足は理解不足につながってしまう。
・書くと時間がかかる。話すと頭の回転が早くなるが、記憶に残らない。
・普段、和製英語が口をついて出てきそうになると、日本語に言い換えるようにしている。トイレはトイレでまぁいいのだが、とりあえず「お手洗い」。はて、学問用語の「アプローチ」はどうすればいいのか。台風じゃあるまいし「接近」とはいえないし、「近づくこと」じゃしまりがないし、「お近づき」では艶っぽい話になっちゃう。こうなったら訳語を避け、助詞だけでほのめかすのはどうだろう。「考古学的アプローチ」でなく「考古学の観点から(・・・)」みたいな・・・。どなたか、泥沼の私に助け舟を・・・!



ゆくゆく調べたいこと
・Choniの語源と定義。街頭インタビューとかおもしろそうだな。日本語の訳で最も近いのは「ギャル」かな。言葉の綾といいますか、こんなことがあった。学士論文で江戸時代の町人の暮らしについて書いたという学友のA君。彼は論文のタイトルを述べる際、「町人(Cho-nin)」という言葉を「チョニン」と、母音を短く、さらに語尾を弱めて発音するんですね。最後の「ン」がほとんど聞き取ず、どうしても「チョニー(Choni)」としか聞こえない。「えっ、江戸時代のギャル!?」。心の中で何べんも耳を疑っちゃった。




本日気の言葉 / 町人(町の人といっても、江戸時代の城下町の商人や職人からなるブルジョア階級やその文化のことを指すのだそうだ。) / 楽市・楽座(現代のフリーマーケット。自由取引市場。織田信長すごし。) / 問屋 / ぬけ荷品 / 御用商人化(商売上の癒着関係) / マーチャンダイジング / 落款(らっかん、水墨画で使われる印鑑のこと) / 絵元(えもと、水墨画で、絵の構図や流れを考慮する際に、流動性の始動点となる部分。例えば、滝の絵の場合、水の流れの向きが右ならば、左側がえもととなる。)


煤(すす、hollín)、松脂(Resina de pino

司馬遼太郎

露呈する 過大評価する




日記

 昨日、サラマンカ大学における東洋学修士課程の前期がいよいよ始まり、本日は 東洋社会の変化 Cambio Social Asia Oriental という科目の一回目の講義があった。

 教壇に立ったのは黒縁めがねで背丈の高い、ハイメ・リリエヴェ・ゴメス教授。おっとりとした笑顔で優しそうな感じ。優しそうな笑顔にホッと安心、してる場合じゃないぞ。文献いろいろ読まねば。

 日本語教師を目指すのはいいが、これまで言語学にばかり没頭してきた私、その他の分野の知識は皆無に近いとまでは言わないものの、短期的な暗記ばかりを繰り返した受験勉強の弊害か、歴史も社会もほとんど覚えておらんのじゃよ。これから一念発起、初心にかえり、我が国について学んでいこう。

内向的な私なりの対人方法

私は周りからはよく「いつも明るく元気」といわれる方だが、自分では内向的な性格だと認識している。そんな私は対人関係があまり得意ではないものの、いくつか心がけていることがある。例えば、私は大学の授業中に自ら進んで意見を述べるタイプではないが、心の中でいろいろと質疑応答している方だ。そうすることで、もし自分が意見を求められてもすぐに答えられるし、「オフレコ」で会話シュミレーションができる。思考回路というのは言葉が具現化される前の段階の思考が四方八方に飛び交う状態なので、それをなるべく具体的な言葉に表現する訓練が必要ではある。そして、家で、自分ひとりで誰も居ないときにそれを独り言という形で声に出して話すこと。自分の話し方に慣れる。

皆様お久しぶりです。ここサラマンカは大分寒くなってきましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。

私、はい、生きておりますとも(笑)

実は、今年度10月からサラマンカ大学教育学部で教員養成修士課程を始めました。中学・高校の教師になるための1年コースです。そして、私の専攻は何を隠そう「スペイン語と文学」。

今のところは共通科目を履修しているところでございます。共通科目には教育心理学(Psicología de la Educación)、編成と歴史(Organización e Historia)、教育社会学(Psicología de la Educación)、教育指導(Orientación)の他に、Atención a la Diversidad (Attention to Diversity)という科目がありますが、これは日本ではどのように訳されるのか、気になってしょうがない。

授業の内容としては、学習障害自閉症スペクトルなど、個々の学生を取り巻く様々な状況を包括的に考慮した教育システムを目指す科目です。日本の文部科学省では「インクルーシブ教育」という用語が使われていますが、その教育の一環として「多様性」を受け入れ、それに柔軟に「対応」するという意味で、科目名の直訳としては「多様性への応対」となります。ただ、果たしてこの訳でいいのか、いまひとつ分かりません。Google検索でさっと英語訳を探してみましたが、日本語はひとつもヒットしません。

ま、というわけで、これからは時間の合間をぬって、ちょくちょくこの教育課程ネタを書いていきたいと思ってます。

いつもご愛読有難うごさいます♪

Aniko.

ペンポスがいっぱい

昨夜、私の中からたくさんのへんてこな妖精たちたちがポロポロポロポロあふれ出てくる夢を見ました。
すくい上げようとすると、ちょうどゆでたての白玉団子のようにツルルンポンっと滑ってしまうの、可愛かったな。
また夢で会えますように。

来年も日進月歩。

 今朝、郵便局(Correos)の窓口で応対してくれたおばちゃんから書類記入の指示を受けた際に、ボールペンを貸して下さいとお願いしたら、「持参しなきゃダメじゃない」と怒られちゃった。

 当然のように備え付けのボールペンを貸してもらえるという日本での感覚が未だに抜けないのね。甘えてちゃダメね。次回からはちゃんとマイペン持参しなきゃ。

 そう考えてみると、正直おばちゃんになじられた時はちょっとだけムカっときたけど、「貸してくれて当然」という甘えと奢りがあたんだなーって思えてきた。気づかせてくれたおばちゃんに感謝。

 というわけで、怒ったり、泣いたり、悔しかったりという思いを胸に抱いたら、その経験が今の自分にとって必要な気づきを与えてくれるということを思い出し、来年も人としてより柔軟かつ大らかに成長するように心がけたいと思います。

 皆様、よい年末年始を!来年もまたよろしくお願いいたします。


 ANIKO